第3回ビッグ・バンド・ジャズ・コンサート
●9月3日(日) ●日比谷公会堂 ●出演=日本医科大ミッド・ナイト・サウンズ 上智大ニュー・スイング 専修大グリーン・サウンズ 日大リズム・ソサエティ 成蹊大コンパル・サウンズ 芝浦工大カレッジ・ソサエティ・ジャズ 東洋大グルービー・サウンズ 明治大ビッグ・サウンズ・ソサエティ 中央大スイング・クリスタル 立教大ニュー・スインギン・ハード 日大ブルー・スイング 法政大ニュー・オレンジ・スイング 東海大スイング・ビーツ 日大ホワイト・リズム・エコーズ 日本電子工学院ブラック・ノート 学習院大スカイ・サウンズ 慶応大ライト・ミュージック・ソサエティ ゲスト=今泉俊昭とジ・アウント・レイジャーズ 森寿男とブルー・コーツ 宮間利之とニュー・ハード
関東バンドは早大ハイソと慶応KMPを除いてほとんど全部顔をそろえたが、恒例の6大学バンドのほかに新顔も多く演奏水準にも高低があったが、毎年参加者が多くなるのは喜ばしい。しかし技術水準は全体にそろってはきたが、とび抜けて高いものや独創的なものは見当たらなかった。
演奏スタイルの方向については、モダン・ジャズの多様化のなかで依然戸迷い(ママ)がつづいており、一時のBSTやシカゴなど、ロックへの傾斜は鎮静して、「まずベイシーへ帰れ」が圧倒的、つぎにクラーク~ポラーンでここまでは4ビート、それからバディ・リッチとサド~メルの新しいロックがかかったレパートリー、大体この4つの模倣が圧倒的で<Basie Straight Ahead><Heaven On Their Mind>(リッチ)<Two Away Zone>(サド~メル)などは幾つものバンドがとりあげていた。そのほかには、メイナード・ファーガソン、デューク・ピアソン、日本の前田、山木、山屋氏等一流編曲者のオリジナル作品といったところ。
技術的には、リズムとくにドラムが水準以下のため致命的な数バンドがあり、つぎにブラスの弱さ、とくにトランペットの補強を要するところが目についた。リード群は概して良くそろっていた。平均的に一番うまいのはやはり慶応のライトで、クラーク~ポラーンのスタンダード曲を完全にこなしきり、ソロもtpなど水準以上。つぎに感銘をうけたのは専修グリーン・サウンズでアンサンブルがよくそろいバランスも良く、とくに自分たち自身のオリジナルと編曲を主にしているのが意欲的だ。杉並のリサイタルできいた時もソプラノを含むサックスの独創的なアンサンブルの記憶があるが、今後の一層の勉強を期待したい。名門の中央クリスタルはさすがにベイシーをよくこなし、レパートリーもディキシー調やエリントンなどはば広く楽しませたが、ブラスにやや難があった。日大は3つも出たが、ラテン打楽器を含むリズム・ソサエティが前田憲男作品を巧みに演奏し、とくにドラムスが良い。ブルー・スイングはどこまでも4ビートに徹すい(ママ)という健気な宣言で、<Be Swing>という山木の作品が学生向きのわかりやすい組曲で楽しめた。東洋大学はドラムとブラスが強力で、リッチの組曲をおもしろくきかせた。立教ニュー・スインギン・ハードは、サックスのソリがみごとで、リズムも良かった。明治ビッグ・サウンズは、ファーガソンに意欲的に取組んだが、むずかしい曲のためにバランスが悪くなったのは惜しまれる。結成3年という芝浦工大は、ベイシー中心で短期間にしてはその感覚をよく吸収していた。法政ニュー・オレンジは、ヤマハのコンテストで個人賞をとったテナーの森田がおり、山木の作品でそのモダンなアドリブが披露された。彼には現在数少ないソロイストとして一層の精進を望みたい。このほかのバンドは紙面の都合で省略するが、いずれも真摯に力一杯熱演したのは気持ちが良かった。今後の問題は色々あろうが、レパートリーの面で4ビートがベイシーだけでは淋しい。米国のバンドのように大学に専属の音楽ディレクターがいて、コーチを受けられるようになることが理想的だが、それは音楽教育全体の問題でもあろう。しかし、小学生バンドにグレン・ミラーを教えている先生もいるのだから、将来に希望をもちたい。
最後に、プロのバンドとして初登場した今泉俊昭とジ・アウント・レイジャーズにふれたい。編曲者の今泉が、昨年末結成したリハーサル・バンドで、ドン・エリスの変拍子と取組み、<Indian Lady><Pussy Wiggle Stomp><Get It Together>の3曲を演奏した。メンバーはすべてレギュラー・バンドの現役のため、これを集めて練習してきた今泉の苦労は並大抵ではないが、メンバーの熱意により、この日はドン・エリスの複合リズムの迫力とレンジの広いサウンド、変拍子にのったスイング感のあるアドリブ・ソロをみごとに再現した。ブルー・コーツは、ベイシーとエリントンの模範的な演奏をきかせ、ニュー・ハードはモダンのオリジナルで、いずれも学生バンドに指針を与えるものであった。(瀬川昌久)
『スイング・ジャーナル』1972年10月号、216-7頁。
|