Special Thanks to Mr. K. Yamaki Jazz Concert の開催

2002年度の出来事

Program

  • 日時:2002年11月9日(土)
  • 会場:日本教育会館一ツ橋ホール
  • 総合司会:瀬川昌久
  • 出演:
    松下通信工業(株)カウント・セイノウ・オーケストラ - ホームページ
    法政大学ニューオレンジスイングオーケストラ 学生/OB/OG

Special Thanks to...

山木さんと逢ったからこそ今の私たちが・・

私達が山木さんと出会ってもう30年という時がたっています。
それまでの時間よりもそれからの時間の方が長くなっています。

一流のJazz Musicianであり作編曲家である山木さんが、毎年メンバーが変わり、しかも決して技術的レベルが高いとはいえない一つの学生バンドに、30年もの間楽曲を提供し続け、指導し続けてくださいました。そしてこれからも・・・。

「上手い連中を集めて、その場で一定レベル以上の作品にするやり方も勿論ある。でも、それはあまり好きじゃない。」と、山木さんは言っておられます。とても手の届きそうもない作品でも、それに向かって一人一人の限界を広げ、惜しみなく情熱をそそぐこと、それが音楽をするということだと。

“山木さんつながり”という言葉があります。
このコンサートは真に“山木さんつながり”による、「はじめのい~っぽ」です。

森田真人(Sax/法政大OB)

N.O.Sにとっての山木さん

法政大学ニューオレンジスイングオーケストラ
1期生 折居 興二

 ニューオレンジスイングオーケストラが誕生した1960年代、大学生の多くは、パチンコ、マージャン、ジャズ喫茶やダンスホールに入り浸った。ことにダンスは、毎晩どこかのキャンパスや公会堂でパーティが開催されていて、ダンス曲を演奏するバンドは引っ張りだこだった。
 そんな時、ダンスの学生チャンピオンだった法大ダンス部のキャプテン等からの要請を受け、ブラスバンドのメンバーを核にニューオレを結成した。そのレパートリーはグレンミラー、ベニーグッドマンとラテンで、レコードを何度も聴いて、譜面におとしたものだった。

創部したその年の秋に、六大学ダンス選手権と全日本ダンス選手権の二大大会に出演。ダンス部生まれのバンドだけあって、全国からダンス関係者に大好評で、その後は毎晩のようにダンスパーティでの出演が続いた。
 それから11年後、本格的なジャズ演奏を求めて、宮間利之とニューハードオーケストラの山木幸三郎氏をニューオレの師と仰いだ。以来、今日までの32年間、山木先生は多くのアマチュアバンドからの指導要請をうけながらもニューオレをメインに、作曲、編曲から演奏、そして音楽への考え方まで、全てにわたるご指導をくださった。

 いま、ニューオレが学生バンド界のビッグとして存在しているのは、山木先生の功労にほかならない。毎年毎年入部する青年には、ひたすらひたすら本物を追い求め成長していくことのすばらしさを教えてくださった。OBにとってはかけがえのない心のふるさとを、守りつづけてくださった。そして何よりも、先生は音楽だけに長けた方ではなく、美術や落語、スポーツにも造詣が深く、そのうえ敬愛する人格者であり、私達にとって理想の方との出逢いでした。

山木幸三郎先生先生! そして令夫人!
よくもこんなに長い間、本当にありがとうございました。
これからも終わりのない面倒を伏してお願いもうしあげます。

山木先生ありがとう!!

法政大学ニューオレンジスイングオーケストラ
11期生 伊藤 梅男

 山木先生との出会いは何度も語られていますが、今から31年前、小生がニューオレ生活最後の年(昭和46年)に始まりました。それは、大学バンドコンテストに参加するにはオリジナル曲が必要となった事でした。先輩、知人、親戚、縁者他色々あたりましたがなかなか見つかりません。

 悩んでいた時スイング・ジャーナル社発行のジャズミュージシャン紳士録なる付録が目に止まり、当時のコンマス鈴木と1ページ目から検討しましたが、ページは進むが結論は進まず、ほぼ最終ページのヤ行で目が止まりました。
 山木幸三郎 中野区江古田 TEL 3386-000
 今思うとこのページだけは輝いていた様でした。早速震える手で電話をしストレートに趣旨を説明した所、快く「わかりました」との暖かい返事、この時の感動は30年経った今も忘れられません。また、その時の暖かい一言がここまで永く続く暖かさを含んでいたとは、本当に山木先生には、感謝、感動で言葉になりません。

 自分が卒業した後も30年間、メンバーが固定しない学生バンドの宿命を背負いながら続けて頂いた創作活動に報いる事は出来ないか、出来ないまでも何か感謝をと、12期生森田からの問いかけから始まりました今回のコンサート、何かと準備不足、練習不足から満足の行ける様にはなりませんが、OB、OG、現役の思いが少しでも山木先生、並びに本日ご来場下さった会場の皆様に伝われば感激です。

 最後に、これからのニューオレに対して変わらぬ応援を山木先生にはお願いし、またニューオレに係わった全ての皆様には支援の程お願い申し上げます。
山木先生本当にありがとうございました。

私達が生まれる前から

法政大学ニューオレンジスイングオーケストラ
2002年度バンドマスター 湯浅 鉄兵

 本日はご来場いただきまして誠にありがとうございます。我々ニューオレンジスイングオーケストラは、山木幸三郎先生先生にお世話になって、早30年、私が生まれる前から楽曲のアレンジをして頂いています。30年間当バンドのためにアレンジをしていただいた楽曲、また今現在も先生の新しいアレンジの楽曲を演奏させて頂いている事、嬉しく、また誇りに思っております。
 私達はこれからも山木幸三郎先生先生の作品が活きるような演奏を皆様にお届けできるように心がけていきたいと思っております。
山木先生これからも宜しくお願いします。本日は現役の演奏を含め、コンサートのほうお楽しみください。

山木幸三郎先生先生へのメッセージ

法政大学ニューオレンジスイングオーケストラ 顧問
堀上 英紀

昨年、前顧問の斉藤茂先生から顧問のバトンを引き継ぐに当たって、プロ楽団「宮間利之とニューハードオーケストラ」のギター奏者・編曲者である山木幸三郎先生先生が、N.O.S.O の編曲をなされているとお聞きし、どのような方なのか大変興味を惹かれたことを思い出します。年度末に行われる N.O.S.O 恒例のリサイタルではじめてお会いした時、帽子と同時に、強いインパクトを受けました。なぜなら、子供の頃、音楽はたった8音階しかないのに何百年も途絶えることなく新曲が生まれ続けることを不思議に思ったことがあるからです。ましてや、編曲ともなるとすぐに種切れになるのでは・・・と、心配してしまいます。それを30年余にわたってお願いしてきたことを思いますと、驚きと感謝の念を抱かずにはおられません。部員共々御礼申し上げます。そして、まことに厚かましいお願いではありますが、今後とも末永いご指導をいただけますようお願い申し上げます。



CSOコンサート時の山木さんの紹介記事 米アトランタ/1995年4月

Kozaburo Yamaki was born in Tokyo in 1931 and graduated from the Ichikawa Technical High School in Chiba Prefecture. During his career he has worked with a variety of band group in Japan including the Jive Aces, Champagne Serenades, The Rhythm Mates and the Gracy Five. Most recently, he has been working with band leader Toshiyuki Miyama and the New Herd as arranger, guitarist and right-hand man.

Yamaki's well-known piece "Long Sleeves Cry" is noted for the masterful manner in which he incorporates a traditional Japanese melody into the jazz form. He has composed many original pieces and has received awards from Swing Jazz Journal. Addtionally, he received the Art Academy's award for best jazz composition.



●ニューオレンジも頑張れた

少し恩返しができたニューオレンジを喜んで頂いた山木先生。(1974寄稿)

 『やった』。法政大学ニューオレンジスイングオーケストラ。山野ビッグバンドコンサートで優秀賞、SJ賞、ソロイスト賞など多くの輝ける栄冠。『オメデトウ』。皆さんと同様、僕にとってもこんなにうれしい事はありません。皆さんのジャズに対しての平生からのたゆまざる練習努力と研究心が認められたわけです。
 ニューハードのジュニア版と言われ、僕も応援のしがいを感じ、これからも陰ながら力になっていきたいと思っています。この様な事が少しずつ歴史になっていく事と思います。
 僕の方も今年は夢にまで見た、モンタレイジャズ祭に出演出来て、レオナード・フェザァー氏始め、多くの評論家や、沢山のミュージシャンから温かい祝福を受け、ジャズを通じて人間同士の心の触れ合いというか、ちょっと言葉で云い表せない、何か「アツイ」物を感じました。皆さんも音楽を通じて多くの友を仲間を作っていって下さい。
 今年は酒が旨いね。
 ジャズも野球も法政だね。

山木幸三郎

「アッ」と云う間に

作編曲家/ギタリスト
山木幸三郎

 「アッ」と云う間に70才もすぎ、もう、そんなにウソみたいで自分の事とは思えません。お酒を呑みながら、昔のようで昨日のような、そんな気持ちです。

 振り返ってみますと今日の仲間達ともう30年以上も・・・。「アッ」と思わざるを得ません。この先も今日の仲間達と「アッ」と過ぎるとしたら、今日から毎日をお祭りにします。今日の仲間たちとみんなで、まだまだ沢山の楽しいお祭りをやらねばなりません。

 長い間おつきあい下さった皆さんのその努力に心より感謝しお礼を申し上げるとともに何と幸せ者だと実感しています。
 ありがとうございます。
 ガンバリマース。

演奏バンドプロフィール

法政大学
ニューオレンジスイングオーケストラ/ NEW ORANGE SWING ORCHESTRA

 戦中、「ジャズ音楽が禁止」されていた頃、法政の学生を中心とした一つの歴史的なバンドがあった。Luck And Sun オーケストラと呼ばれたこのバンドは、多くのダンスパーティに出演し、そのスイングに「ラカンサンが揃ったら踊ろうじゃないか」を合い言葉にされたと言い伝えられている。ブルーコーツの前身オルフェアンズのバンマス遠藤勲氏、コロムビアオーケストラ指揮・ベースの渡辺順氏、のちのブルーコーツのバンマス小原重徳氏などの、この法政の戦中・戦後派の活躍は、日本のジャズ史の中のずっしりとした礎石の一つである事はまちがいない。(故いソノてルヲ氏/1978)

 この法政の伝統を引き次いで、1960年初代コンマスの折居氏らの多大な尽力で創部され、良くスイングするダンスバンドとして全国にその名を知らしめた。この頃、後に網走ジャズオーケストラ代表の吉井氏、ビッグバンドオブローグス代表で日本アマチュア・ビッグバンド協会専務理事などを歴任する伊波氏、パーカッショニストの矢野氏、島津氏らを輩出している。

 その後YAMAHAライトミュージックコンテスト3位を皮切りに、チーフアレンジャーとして山木幸三郎氏を迎え、コルトレーンの名曲をビッグバンド化して独自のカラーを打ち出し、第5回、第7回の山野ビッグバンドコンサートで優秀賞、個人賞、SJ特別賞など各賞受賞。1987年に瀬川氏、SJ児山氏、山野社長らの監修と山木幸三郎編曲でLPをリリースした。この前後に輩出したミュージシャンも多く、以降ニューオレと山木先生に育てられたミュージシャンが多く続くことになる。また近年では、バークリー卒業後益々活躍が著しい岡崎氏を筆頭に、若手の活躍もめざましい。
 今日のコンサートには、上記の何人かにも特にスケジュールを調整頂き、参加して頂いている。

※ホームページ掲載時に、元のパンフレットにあった誤字脱字など、一部の文言を修正しております。